webライター 西海 登の営業日記

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小説:交差点(了)

以前、ブログに掲載していたものです。

これは終わりまで書かれております。

それなりに好評でした。自画自賛ですみません。

 

 

 

 

コンクリートの校庭は、東京ではあまり珍しくなくなった。


「おい朝岡、何サボってんだよ」


今日もこの校庭に怒鳴り声が響く。いつものことだ。


「先生。今日俺、あの日だから」


「は?」


「全く、保健体育の先生がとぼけちゃって。生理だよ、生理」


「そんなことぐらい知ってる。くだらん事言ってないで早く走れ」


朝岡洋平は体育の授業となるといつもこんな調子だった。彼ももう3年の春を迎え、大学受験の話が教室内をちらつくようになってきた。今日もこの後、担任との進路面談が待ち構えていた。


「俺を高橋尚子みたいにしてくれるってんだったら走ってもいいぜ。小出監督


もう何も言わなかった。呆れてその場を去ってしまった。いつもの彼のやり口だ。


「相変わらず水沢を交わすのがうまいな」


朝岡のもとに長身の男が背後から彼につぶやいた。


「宇佐美。久しぶりだな」


宇佐美慶介の家は江戸時代から続く由緒正しい商人の家だ。バブルの頃に始めた貿易関係の会社が当たり、それを契機に様々な店を経営し、今では小さな財閥だ。


「2週間、どこに行ってたんだよ」


「ちょっと買い付けの仕事でタイに行ってた」


彼は長男であり、両親も後を継いで欲しいらしく、彼に輸入雑貨のオンラインショップの仕事を任せていた。朝岡も最初はなんとなく彼を「お坊ちゃま」的なやつという目で見ていたが、話してみると逆に見習いたいぐらいの商売人としてのたくましさがあり、今では彼の親友の一人だ。


「さすが。お坊ちゃまは違うね」


「うちの会社の経費だから、遊んできたわけじゃないよ」


「・・・。お前の頭の中って、どうなってるか見てみたいよ。でも、もっと高校生活満喫したほうがいいんじゃねぇの? 俺みたいに先生おちょくったり」


朝岡はそう言いながら、フェンスにもたれかかり遠くを眺めた。


「俺は高校よりバイトのほうが忙しいから。これ、お前にやるよ。タイのお土産」


と、宇佐美は朝岡に象のキーホルダーを手渡した。


「サンキュー。これ、いくらで売るの?」


「450円」


朝岡はキーホルダーを顔の前でぶら下げて、左右に揺れる象を見ながらつぶやいた。


「やっぱり慶介は俺と違って将来があるよな」


すると宇佐美は少しうつむいて、



「父さんの会社、バブルはじけてから赤字続きでさ。最近やっと持ち直したんだけど、いろんなところに借金ができちゃって。それが原因で今父さん、母さんと別居中なんだ」


と、打ち明けた。朝岡は彼に返す言葉が見つからなかった。


「忙しいからって言って家に遊びに来なかっただろ? 実は親の別居を知られたくなくて言ってただけだったんだ」


宇佐美はうつむいたまま続けた。朝岡も彼がこんな現実を抱えていたことを知らずに、彼をからかったりしていたことが少なくはなかった。


「……。いいじゃん、そんなこと」


宇佐美は朝岡が言ったことが意外だったらしく、目を丸くして彼を見た。


「お前ならできるよ。借金がいくらあるか知らないけど、お前ならきっとやれるよ」


朝岡は起き上がると宇佐美に言った。


「じゃ、俺は進路面談があるから。お土産サンキュー」


彼は踵を返すと、校舎のほうへ歩いていった。残された宇佐美は


「強いな。洋平は」


と、彼の後姿を見ながら呟いた。


校舎の中は、去年改築工事が終わったこともあり、異様に新しく、新築建造物の匂いが鼻を突いていた。


「お前の第一志望は分かった。でも、そのためには今以上に勉強しないと合格は無理だぞ」


朝岡の担任、神保だ。彼も体育の水沢同様、朝岡には手を焼いていた。


「専門学校でもいいんだぞ」


朝岡は何も言わなかった。


「第一に志望理由を考えたことがあるのか? 早稲田の政経なんて生半可な気持ちじゃ到底受からないぞ」


「先生も行きたかったんでしょ? ここ」


朝岡は目を細めた。


「俺の話はいいんだよ。お前はどうなんだよ。志望動機があるのか?」


「先生、行きたかったんでしょ? ここ。それは自分のステータスのため?」


神保は舌打ちをすると、話をするのをやめ、大きくため息をついた。


「朝岡、お前は将来何がしたいんだ」


「……」


「大学は自分の好きなことを勉強しに行くところだ。まず何をしたいのか教えてくれ」


なんとなく朝岡に根負けしたようにも見えた。


「じゃ、逆に教えてください。なぜ大学へ行っても就職できない人がたくさんいるんですか?」


「それは…」


「自分の好きなことを勉強して、親にたくさん学費を出してもらって、最後の最後で就職できませんでしたってあまりにも悪すぎる冗談ですよ。自己満足の世界じゃないですか?」


「そんなに大学へ行くのが嫌なら、就職でもすればいいだろ!」


神保は机を叩いた。ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。


朝岡は神保と目を合わせなかった。就職ができることならそうしたいと彼も思っていた。


「もういい。来週の月曜にもう一度面談をする。時間をやるから真面目に自分の進路を考えて来い」


朝岡は何も言わずに立ち上がると、神保の方を見ずに教室を出て行った。


「結構激しかったじゃん。外まで聞こえたよ」


廊下には順番を待っていた井上理沙子が廊下に用意されていた椅子に腰掛けていた。


「仲悪いからな、あと今日、慶介が学校来てた」


朝岡、井上、宇佐美の3人は高校入学時、席が近かったこともあり、今でも仲がよかった。恋愛関係にはならなかったが、それが逆によかったのかもしれないと朝岡は考えていた。


「タイに行ってきたんだってさ。俺もあいつぐらい商売の才能があれば、今すぐにでも高校辞めてもいいのになぁ」


「慶介はあたしたちとは違うよ。あたしも進路なんて全然。入れる大学探すので精一杯だった」


理沙子は自分の進路調書を眺めながら言った。


「じゃ、そろそろ時間だから中に入るね」


「おう、神保によろしく伝えといて」


理沙子は教室の中に入っていった。朝岡は来週の月曜日のことを考えながら廊下を歩いた。

今まで自分の将来を考えたことがないわけではなかった。高校では大学に行かなければ立派な大人になれないというようなニュアンスで話をされることが多い。しかし、実際に宇佐美を見ると、それが本当に正しいのかと彼は疑問を持っていた。


朝岡の家は埼玉県に近い。この辺一帯は子供を持つ家の教育熱が異常なもので、幼稚園時代からのお受験闘争も日常だった。朝岡の家も例外ではなかった。彼も幼稚園をたくさん受験させられた。

そんな親と今の状態の朝岡はうまくいっていないのは既に想像がつく。彼は家に入るとただいまも言わずに、部屋へと入っていった。部屋へ入るとパソコンのスイッチを入れ、宇佐美の経営しているネットショップへ飛んだ。


「いろいろ仕入れたんだな。あいつ」


そこには、いかにもアジアン雑貨といった感じのバックやネックレスがあった。宇佐美のセンスが感じられた。

朝岡は宇佐美のオンラインショップのサイトを閉じると、ベッドに倒れこんだ。親友は頑張っているというのに、自分はこの様であることが悔しくもあり、情けなかった。


「来週の月曜までに……、か」


朝岡には実際になりたいものなどなかった。お金を稼ぎたいといった欲望も特になく、現代社会に最も多い将来のことを考えない若者の一人だった。自分が何をしたいのかよく分からずに高校3年まで来てしまうと、小学生の時から10年分ぐらい無駄な時間が過ぎたように彼には思えた。

だからといって勉強をする気にもなれず、インターネットをしてみたり、夜中に近所のコンビニでたむろしている彼と同じ中学の友人のグループに、話の輪に入れてもらったりと大学受験を控えている高校3年とは思えないように生活をしていた。

ふとパソコンのディスプレイに目をやると、見知らぬウインドウが開いていた。


「またか」


ネットサーフィンをしていくといらないソフトまでインストールされてしまうことが多い。彼はその類のウインドウだろうと思い、ウインドウを閉じにパソコンの方に向かった。





未来の自分に会おう…。






彼は閉じようとした手を止めた。そこには10年後の自分と会える不思議な交差点の逸話と、その交差点の写真が掲載されていた。

ネット社会とは恐ろしいものだ。インターネットから広がった噂が社会を混乱させてしまうこともある。今の彼も、まさにその噂の虜になりかけていた。彼の置かれた状況であればそうなってしまうのも無理はないだろう。

未来の自分に会えたとしたら何を訊くだろうか。あのときの自分の選択は間違っていなかっただろうか、今やっておかなければ後悔することは何か、など挙げていけばきりがない。朝岡もそれは同じだった。10年後といえば他の同級生と同じように大学を目指し、社会人になっている頃である。

朝岡は10年後の自分に訊きたいことが山ほどあった。そのなかでももっとも訊きたかったことは、今は幸せかということだった。


朝岡はウインドウを閉じると、またベッドに向かった。仰向けで天井を仰ぎながらまた考えた。

10年後の自分は、今の自分を恨んではいないだろうか…。彼も今の生活が楽しかったが、このままでいいとは決して思ってはいなかった。

宇佐美や理沙子とも将来の話をする機会は何度かあったが、他の二人は将来の方向性だけは決まっていたのに対して、朝岡は何も決まっていなかった。

成績もかなり悪く、補習や追試を受けるのが習慣となっていた朝岡にとって10年後の将来は考えたくもないことだった。

彼がそんなことを考えていると、携帯がメール受信を知らせた。理沙子からのメールだった。彼はメールの内容を見て、鳥肌が立った。


件名:知ってる?

本文:今日の面談やばかったよ。かなりきつぃこと言われちゃった。ところで未来の自分と会える交差点って知ってる?


朝岡もさっき知ったばかりだった。誰かの仕業なんじゃないかとまで思った。ちょっと前に流行った口裂け女トイレの花子さんのような根も葉もない噂だとさっきまでは半信半疑だったが、理沙子からのメールでちょっと彼の考えが変わり始めた。


件名:RE:知ってる?

本文:どこで知ったんだよ。俺もさっきネットやってて偶然そのページ見たばっかりなんだけど。


理沙子への返信をした。すると理沙子はネットをやっていたときに勝手に開いたウインドウに載っていたと言った。朝岡と全く同じだった。理沙子は面白そうだから行ってみようと誘ってきたが、朝岡は少し気味が悪いと感じ、宇佐美が行くといえば行くと返信した。

きっと宇佐美は忙しいといって断るに違いないと朝岡は考えた。


「おはよ。慶介も面白そうだから行くって言ってたよ」


朝岡の予想は辛くも裏切られた。忙しいと言わなかったのだ。


「あ、そう。じゃ俺も行くよ。でも未来の自分ってなんか話からして怪しくない?」


「怪しくなきゃわざわざ見になんか行かないでしょ」

それもそうだった。未来の自分が気にならない人間などこの世にいない。


「なんか面白そうじゃん」


「慶介、忙しくないのかよ」


宇佐美が朝から学校にいることは珍しかった。


「タイの雑貨セールの営業が一段落したからさ。しばらくは学校に顔出せるよ」


宇佐美は目にくまを作っていた。彼にとって朝は夜の延長であり、さわやかだと感じることも少ない。それでも学校へ来ているのは、彼が借金や両親のトラブル、オンラインショップの売り上げなどを忘れて、友達と騒げる唯一の場所だからだった。


「ま、慶介が行くんならしょうがないか」


朝岡は渋々行くことにした。未来に自分に会える交差点なんて、オカルト好きが仕組んだ悪戯に違いないと思っていたが、口には出さなかった。


「箱根の方にあるって書いてあったよ」


理沙子はもう行く気でいた。


「箱根か。今まで行ったこともないし、行ってみるのもいいな」


宇佐美も乗ってきた。もう朝岡も行かざるおえなかった。


結局、3人は土曜日に行くことに決めた。他の同級生は受験勉強をやっている中、箱根への旅行は少し気分がよかった。


「神保の声が聞こえてくるよ。お前ら受験生だろって」


と、言って朝岡が車窓を眺めた。小田原線は厚木を越えて、そろそろ箱根の入り口へと差し掛かっていた。


理沙子:ねえ、10年後の自分ってどうなってるか想像つく?

朝岡:さあ。でも結婚してないことはなんとなく想像つく。

理沙子:どうして? 28歳だよ。

朝岡:俺の性格見れば分かるでしょ。

理沙子:ああ。

朝岡:納得するなよ。

宇佐美:ここの結婚はなさそうだな。


彼らの乗っている電車は、トンネルに差し掛かった。


宇佐美:このトンネル。出口がなかったらどうする?

朝岡:何急に変なこと言い出すんだよ。

宇佐美:いや、なんとなく。トンネルってなんか入るたびにそう思うことがあるんだ。

朝岡:へぇ。考えることが違うね。

理沙子:でも、なんか分かる気がするな。

朝岡:ふーん。


宇佐美は商売をしているためにトンネルをマイナスイメージで捉えているのだろう、と朝岡は感じていた。今まで何もかもうまく言っているように思えた宇佐美にも大変な一面があることに気付き始めていた。


朝岡:ところで、理沙は面談の時に神保に何か言われた?

理沙子:うん。もっと勉強をしろって。

朝岡:またそれか。それしか言うことがないのかよ、あいつは。

宇佐美:結局、うちの高校の先生は営業をしたいんだよ。有名な大学に生徒を合格させて、募集要項に○○大学 何名って書いたパンフレットを持って誇らしげに中学を回りたいだけ。その後の生徒の人生なんて関係ないのさ。


3人は黙り込んだ。奇麗事だけでは語れない部分を商売と通して宇佐美はたくさん知っていたのだ。


朝岡:お金で買えないものって何?

理沙子:何? 急に。

朝岡:いや、ちょっとね。大学受験も自分の将来のためとか言って、結局は学校の商売道具にされているのかなってさ。

宇佐美:その学校のおかげで大学受験通れるんだから問題ないでしょって言うんだよ、学校は。でも俺が納得できないのはそういうところを学校が認めずに綺麗事ばっか並べるところ。

朝岡:有名大学に合格しているのは、本校の生徒が優秀だからです、とか?

宇佐美:そう。本当に優秀なら学校なんか行かないだろってこと。

理沙子:でも、そう考えるとお金で買えないものってなんだろう。

朝岡:お金、かなぁ。

宇佐美:かもな。お金で買えないものはお金か。皮肉だな。


3人は笑った。楽しいが、ちょっと悲しい笑いだった。電車はついさっきまで都会の中を走っていたことが嘘だったように田園風景の中を走っていた。そう考えると、都会は小さい。


理沙子:28歳のあたしはお金持ってるのかな?

宇佐美:いくらかは持ってるんじゃない?

朝岡:慶介と結婚してたら社長夫人か。

宇佐美:あのなぁ。

理沙子:慶介だったら、結婚してもいいかな。

宇佐美:おい、理沙。

理沙子:本気にしてるし。


笑いながら、朝岡は、将来本当にそうなるではないかと予感した。だか、彼はそれを言わなかった。これから10年後の自分たちに会いに行くからだ。


朝岡:理沙はお金持っているやつが好き?

理沙子:……。あたしは別にお金がなくても頑張ってる人が好き。

朝岡:頑張ってる人か。10年後の俺は頑張っているのかな?

宇佐美:お前は強いから頑張っていると思うよ。

朝岡:強い? 俺が?

宇佐美:うん。俺が羨ましいぐらい。いろんな先生、敵に回しても全然怯まないし。弱っているときによく励ますし。弱っているやつを放っておけないやつは強いよ。

朝岡:そっか。じゃ、その強さをもう少し成績にも反映させないとな。


宇佐美の言葉は、朝岡にとってありがとうと何回言っても足りないぐらいに思えた。先生や親から、落ちこぼれ扱いを受けている朝岡は学校や家が面白くなく、家でも考えた程だった。


何時間というほどでもないが、電車に乗っている時間を彼らは忘れた。あたりは薄暗い暗闇に包まれ始めた。


理沙子:ねえ、だんだん暗くなってきたけど大丈夫なの?

宇佐美:夜10時を回らないと交差点で会えないんだろ?

朝岡:ここまで来て行きたくないとか言わないよな。

理沙子:そうじゃないけど。なんか不安になってきて。


理沙子の心配は二人とも同じだった。夜中、誰もいない田舎の交差点に行きたいなんて考えるやつはそういない。


理沙子:確か小田原からバスに乗り換えるんだっけ?

宇佐美:箱根の方へちょっと上ったところらしいけど、行ってみないとわからないよ。


と、宇佐美はネットからプリントアウトした交差点の写真を眺めた。一見してただの交差点である。本当にこんなところで未来の自分になど会えるのか不思議であった。

3人は小田原で芦ノ湖行きのバスに乗った。時刻表を見るからに最終だった。バスの運転手もこんな時間にどこへ行くんだという顔で3人をまじまじと見た。まさか、行き先を聞かれて未来の自分に会いになっていえるわけがない。

小田原の街を過ぎて、すぐにバスは山道へと入っていった。何回もカーブする昔からの山道だった。とんでもないことろに来てしまったと3人は思ったが、今更引き返す訳にもいかず、ただ黙ってバスに乗っていた。

その光景は、さながら心中自殺でも図りに芦ノ湖まで行くようにも見えた。


どれくらいバスに乗ったかは3人とも忘れた。何回もカーブを曲がり、なんとなく冥界に迷い込んだようだった。

「次のバス停で降りるよ」

宇佐美は2人に言った。宇佐美も本当にそのバス停で降りていいものかは、はっきりと分からなかった。しかし、もう後戻りはできなかった。

「そろそろか」

朝岡も少し緊張していた。

「10年後のあたしに何て言おう」

理沙子も電車の中での元気がどこかへ消えていた。


3人はバスを降りた。時刻は10時を回っていた。交通量の多い道ではないのか、車は見渡す限り走ってはいなかった。3人の前にはまっすぐ行くと芦ノ湖、右へ行くと小田原市街と書かれた交差点を示す青い道案内の標識があった。

これが例の交差点かということに確信は持てなかった。

そのT字になっているちょうど真ん中には街灯が設置されていた。

「ねえ、あそこに誰かいない?」

理沙子が訊いた。確かに街灯の下には人影があった。こんな時間にこんな人気のない山道で、一人でいること自体不自然であった。

「こっちに近づいてない?」

その人影は3人の存在に気がついたのか、こっちへ向かっていた。3人に緊張が走った。

「なあ、もう帰ろう? もういいだろ? 逃げた方がいいんじゃ」

朝岡だった。

「あれは幽霊なんかじゃない。人だ」

宇佐美は冷静だった。


人影が近づいてきた……。


「朝岡洋平さん、井上理沙子さん、そして、宇佐美慶介さんですね」

スーツ姿の男が3人に話しかけてきた。3人は見知らぬ男に名前を知られていることに恐怖と驚きを隠せずにいた。

「お待ちしておりました。未来の自分に会える交差点にようこそ」

「一体どういうことだ」

口火を切ったのは宇佐美だった。

「そろそろ分かりますよ。後もう少しで車が来ます」

男の言っていることが分からなかった。すると、3人の来た山道を一台のスポーツカーが猛スピードで走ってきた。ここは山道の中でも直線道路になっていた。120キロぐらいは出ていたに違いない。

「あの車です。あの車をよく見ててください」

スポーツカーが交差点に差し掛かったそのとき、右からワゴン車が出てきた。

「危ない!」

理沙子が叫んだ。しかし、120キロの鉄の塊は早々止まる事ができなかった。


3人の目の前には惨劇が繰り広げられていた。スポーツカーのフロントガラスはなかった。それが衝突前は車だったことは微かにしか分からない。ワゴン車も木を2,3本倒してやっと止まっていた。

「あれはなんだか分かりますよね。無謀な運転の不注意による事故です」

「おっさん、何言ってんだよ。早く助けないとまずいだろ!!」

朝岡が怒号を上げた。

「もう3人は死んでいます」

「は?」

「あの車の中には10年後のあなた方が乗っています」

何を言われているか分からなかった。

「宇佐美慶介さん、あなたはこの10年で今の事業を軌道に乗せます。インターネット業界でもその名を知られるほどの敏腕実業家になります」

「だからどうしたって言うんだよ」

宇佐美も朝岡同様、事故現場で混乱を隠せずにいた。

「朝岡洋平さん、あなたは結局大学へは行かず、家の近くの小さな建築会社に就職します。そこで建物を建てるという仕事に魅了され、建築事務所を開きます」

「……。何で大学のことを知っているんだ」

朝岡は大学へ行くことに迷いを持っていることが、男の話している内容と共通していることに驚きを隠せなかった。

「ここは未来の自分に会える交差点です。それぐらいのことは把握しています」

男は冷静に一蹴した。

「建築事務所は持ち前の営業力で業績を伸ばし、独自のセンスで建築業界をリードし、事務所は注目されることとなります」

男は、呆気に取られている朝岡に目をやると、理沙子の方を見た。

「井上理沙子さん、あなたは見事に何十倍という競争率を勝ち抜いて、美大の造形学科へ入学します。そして3年後の大学在学中に、美術館のコンクールで大賞を取り、個展で全国を回る日々を送っている事でしょう」

「どうしてあたしが美大を目指していることを……」

3人は初めて会ったこの男にすべてを知られているようで、さっきよりも大きな恐怖感に包まれ、黙り込んだ。


「……。まあ、でもよかったじゃん。10年後もみんなそれぞれ活躍しているみたいで」

口火を切ったのは朝岡だった。

「いい話はここまでです」

男は表情を一転させ、事故のあった交差点を指差した。

「さっきも言いましたが、あそこに見えるのが10年後の今日のあなた方の姿です」

「……」

3人はなんとなくではあるが、状況を把握し始めた。なぜスポーツカーだったのか、120キロという非常なスピードでこんな山道を登っていたのか、そして、なぜ今日この場所に3人が呼び出されたのか。男の話は辻褄が合っていた。


「10年後の今日、あなた方は同級会に参加することとなります。その席でそれぞれの分野で活躍しているあなた方がほぼ10年ぶりに再会します」

男は表情を変えずに続けた。3人は徐々に男の話を真面目に聞くようになっていた。

「宇佐美さんは事業で成功して、年商100億円を超える会社の経営をしていましたので同級会にはスポーツカーで来ました。朝岡さんも前日のテナントビル建設会議の資料作りでほぼ徹夜にも関わらず、親友と久しぶりに会うということで仙台からとんぼ返りをしてきました」

3人は男の話に興味を持つようになっていた。

「井上さんも個展で全国を飛び回っていたので、同級会前日も長崎にいたのですが、朝岡さん同様に朝一番の飛行機で東京へと帰ってきました」

「スポーツカーってまさか……」

宇佐美は気づいたようだった。男は頷いた。

「もうお分かりですね。同級会の会場は、箱根の温泉旅館です」

3人の背中に悪寒が走った。今までの話がすべてつながっていた。


10年後の今日―


「遅いな。何やってんだよ」

宇佐美(28)は腕時計に目をやった。時刻は午後9時半を過ぎていた。夜になっても真紅のフェラーリは目立つ。

「なんかいかにも金持ちって感じだよな」

宇佐美は顔を上げた。そこにはスーツを着てすっかり大人になった朝岡(28)が立っていた。

「朝岡。久しぶりだな。高校卒業以来か」

「ああ。何かとお互い忙しかったから、メールぐらいでしかやりとりしてなかったもんな」

「理沙は?」

「俺と同じ新幹線には乗ってなかったけど……」

朝岡はふと後ろをみた。そこにはポニーテールでTシャツにジーンズ姿の理沙子(28)がいた。

「誰が同じ新幹線に乗ってなかったって?」

朝岡の持っていた高校時代の理沙子の印象は少し幼さの残る丸顔だったのだが、今目の前にいる理沙子は痩せて大人っぽくなっていた。

「理沙か?」

「きれいになってて驚いた?」

図星だった。

「これ慶介の車? フェラーリじゃん。あたしも慶介と結婚しようかな」

3人とも大人になっていた。高校時代より多少お金もあり、人生の中でも楽しい時期の一つでもあった。3人は車に乗ると小田原駅のロータリーから箱根を目指した。

「タバコ吸うなら窓開けろよ」

宇佐美は10年経ってもタバコは好きになれなかった。しかし朝岡は遠慮なく窓を明けてマイルドセブンに火をつけた。彼は運転しながら近況を話した。彼はあれから親の会社を引き継いだが、店の方は自分でやってきたネットショップの方が好調だったため、店を縮小し、ネット事業を行っていた。それが大当たりしたのだった。今ではフェラーリにも乗れる富豪生活だ。

「うらやましいよ。俺は親と喧嘩の毎日が何年続いたか……」

朝岡は普通高校から大学へは行かずに、近所の建築会社へ就職した。当然、大学進学を望んでいた彼の両親とは上手くいかず、就職して半年後には会社の空いていた一室で寝泊りするようになっていた。

「でも、今は立派な建築家だろ? この前雑誌に出てたよ。お前の作ったマンション」

「まあ、今はね。でもお前ほど金持ちじゃないぞ」

朝岡の目は少し本気になっていた。しかし、宇佐美にもつらい過去があることを既に知っていた。

「両親はどうなったんだ? 高校時代は別居中だって言ってたけど」

「嘘? そうだったの?」

理沙子は初めて聞いたようだった。どうやら宇佐美は朝岡にしか話していなかったらしい。

「ああ、お袋は3年前くも膜下出血で死んだよ。俺も親父の会社の社長になったときの祝賀会でしか会わなかったんだ。それっきりで忙しくて、倒れたって聞いたときもちょうど業務提携の交渉でアメリカにいて、見舞いにすらいけなかったよ」

「……。そうか」

「忙しすぎるのもいいとは思わない」

宇佐美はハンドルを握る手に少し力が入った。道は小田原の街を出て、山を登り始めていた。


仕事では成功を収めている宇佐美が、私生活ではあまりにも不幸が続いていたことは、やはり神様は存在するということを意味しているように思えた。

「あ、もうこんな時間だよ」

宇佐美は時計を見た。既に10時を回っていた。

「会場9時でしょ」

理沙子が後部座席から言った。理沙子も多忙な毎日だった。大学在学中にデザイン画のコンクールで大賞を受賞してから個展の話がひっきりなしだったのだ。

「ここからじゃ、まだ30分はかかるよ」

「せっかくフェラーリなんだし、飛ばして10分で行くか?」

朝岡だった。彼も車が好きだ。少し興奮しているようだった。山道では珍しく暫く直線の道が続いていた。

「よし、アクセルべた踏み」

宇佐美も乗ってきた。高校時代を思い出していた。彼らは決して優等生ではなかった。理沙子もそんな2人に付き合うのが楽しみだった。

一気に加速がかかった。3人が後ろに力を受ける感じにシートに張り付いた。

「おおすげぇ」

「ちょっと、飛ばしすぎなんじゃ」

理沙子は少し心配になった。10年前、どこかでこれと同じような話があったことを薄々であるが思い出していた。

「危ない!!」

遅かった。黒いワゴン車がもう前に立ちはだかっていた。向こうの車も夜はあおまり車が来ない道だったこともあり、確認せずに出てきたようだ。


聞こえたのはブレーキをかけたときのタイヤがスリップする音と、車が壊れる音だった。不思議なことに痛いとか苦しいという感覚はすぐに来なかった。ただ、普段と変わらない日常が一瞬のうちになくなってしまったのだった。




「朝岡さん、井上さん、そして、宇佐美さん。あなた方は自分で思っている以上に才能があります。10年後の今日、この場所で死なれてしまっては困るのです」

「あんたは一体何者なんだ」

朝岡は訊いた。

「10年後を知るものとでも言っておきましょうか」

「で、なぜこんなことを俺たちに伝えるんだ」

「……。分からないと思いますが説明しましょう。私は警察庁の時空捜査課に所属しております。これは極秘の組織で、社会的に影響の大きな事件や事故の未然防止が主な仕事です」

3人は男の話が嘘ではないと思ったが、信じられなかった。

「この事故で宇佐美さんの会社は倒産し、朝岡さんの建築事務所も閉鎖に追い込まれます。井上さんの個展に賭けていた美術館もたくさんありました。この事故はそれぞれの分野でおおきな損失となったわけです」

10年後の自分がこんな形でこの世を去ることを知ってしまったのは、おそらくこの3人しかいないだろう。警察庁の時空捜査課所属のこの男も、自分の10年後は知らない。

占いでもなんでもない。未来の現実を知ってしまったのだ。

「10年後の自分とお会いしますか?」

男は事故のあった交差点へと先に歩いていった。赤いスポーツカーはスクラップと化していた。事故前、助手席の窓だった場所の前まで来ると男は呟いた。

「私も数々の事故現場を見てきましたが、ここまでひどいのは初めてです」

手を合わせた。3人は複雑な心境だった。10年後の自分の死体と会わなければならないということはどういうことなのか、想像がつかなかった。

「なあ、せーので見ようか」

朝岡だった。こういった場面では一番精神的に強そうなタイプに限って、一番怖がったりするものだ。

「ああ」

「い、いいよ」

2人は同調した。

「じゃ、行くぞ。  せーの!」



「おい、こんなところで何やっているんだよ」

気がつくと、辺りが明るかった。3人は昨日、ここで起きた出来事をやっと思い出した。目を開けると、そこには昨日ここまで乗ってきたバスの運転手がしゃがんで、心配そうに見つめていた。

「あれ、ここで起きた事故は?」

宇佐美が辺りを見回した。スクラップになったスポーツカーも、木を2,3本折って止まったワゴン車もなかった。山の中のいつもと変わらない朝だった。

「事故? 昨日ここで事故が起きたなんて聞いていないぞ」

運転手は不思議そうに3人を見た。

「昨日こんなところで降りたからなんか変だと思って気になってたんだ。それで朝通ったらこんなところで寝てるもんだからびっくりしたよ。死んでるのかと思った」

「……。それはご迷惑をおかけしました」

宇佐美は本当のことを話しても信じてもらえないと思い、素直に謝った。田舎の相互監視のようなものに3人は助けられたのだった。

「まあ、いいよ。とりあえず帰るなら乗りなよ」


いくら思い出しても、スクラップになったスポーツカーの中を覗いた後は思い出せなかった。

帰りのバスの中では3人とも口数は少なかった。10年後の自分に会っていないのだった。なんだか長い夢を見ていたようだった。


朝岡:なあ、俺たちって、あの男が言っていた様に10年後はすごいやつになってるのかな?

理沙子:う~ん。でもなんかちょっと怪しいよね。

宇佐美:信じるわけじゃないけど、なんとなく今と、あの男の言っていた10年後の話がつながってたからな。


3人はまた黙り込んだ。分からないことだらけだった。普通に過ごしていたはずの高校生が突然、こんなことに巻き込まれてしまったのだから無理はない。


朝岡:でも、俺は信じてるよ。慶介が10年後、商売で成功してフェラーリ乗り回してるの。

宇佐美:おい。乗り回してるって何だよ。……。俺も洋平が大工だったら、使う人のことを考えた建物作ると思うよ。バリアフリーとかの。

朝岡:バリアフリーって?

宇佐美:今のは10年後に話すべきだったかな。

理沙子:あたしもまだ誰にも言ってなかったけど、入れるところ選ぶんじゃなくて、やっぱり美大目指そう。

朝岡:理沙にもそんな才能があったなんてな。これからは井上画伯って呼ばないと。

理沙子:何それ。馬鹿にしてるの?


3人はなんとなくではあるが、自分の夢を現実のものにしようという気持ちになっていた。


この不思議な出来事があった日から10年。彼らはそれぞれの道で活躍し始めていた。

10年経てば一昔、と言われるように、3人はこの出来事を記憶の彼方に仕舞い込んでしまっていた。誰かに話しても信じてもらえるか、それが引っかかり、誰にも話さないうちに忘却の波がこの出来事を浚って逝った。


「朝岡さん。はがき届いてますよ」

朝岡の建築事務所で働くアシスタントの水上だ。彼は朝岡の建てた噴水に魅せられ、建築の道を志してこの事務所に入ってきた。

「同窓会ですか? 朝岡さんぐらいの年齢になると、久しぶりに会ったクラスメイトと思わぬ恋が、なんてこともあるみたいですよ」

「くだらないこと言ってないで、さっさと図面仕上げろよ」

「はい、すみませーん」

水上はデスクに戻っていった。朝岡ははがきを見た。ふとあることを思い出した。『10年後の自分に会おう』

朝岡は慌ててはがきを持って、自分のデスクに戻り、手帳を広げた。

あの時、男が言ってたように前日には仙台での仕事が入っていた。



そして、同窓会の会場は、箱根の温泉旅館だった。


 

小説:something to blue(途中まで)

 結婚に焦る20代を描きました。

 幸せな結婚式のために欧米では必要なsomething to blue(何か青いもの)と結婚に関する漠然とした不安(マリッジブルーのようなもの)をかけたところからです。

 

 誰かが言っていた。

 あの頃に戻りたいなら、当時聴いていた曲を聴くといい。

 確かに僕にはそういう曲があったが、自分の過去の感傷に浸るのは趣味ではない。

 だが、自分の歩いてきた道に後悔していないこともまた事実だった。

 今日もまた、僕は過去に自分を置き去りにして未来へと歩いている。

 まるで、電車に乗っているかのように周りの景色が変わっていっているが自分は全く変化していないように感じる。

 しかし、他の人は違う電車に乗っていて僕を見る。

 そして、僕は他人から見たら”移り変わる景色”だ。

 自分では変化していないように見えても、他人から見れば、時が経つにつれて自分の考え方も、見た目もかなり変化している。

 年を取るということは、そういうことだ。


 今日もいつものように、会社を定時で上がると、帰路を急いだ。

「お疲れ様でした」

 オフィスから出る押し扉ですれ違う越島課長に元気いっぱい挨拶をした。僕は帰るときだけは元気がいい。仕事中は抜け殻と言ってもいいほどだった。

「おい、自分の仕事は終わったのか?」

 予想通りの質問だ。僕は気にすることなく振り向きざまに

「はい。あとは先方さんの回答待ちなんでこれで失礼します」

 と、元気いっぱいに返してやった。越島課長は僕がいつものように笑顔を見せると、決まって何か言いたそうな顔をする。

 僕は何も言わずに、ドアを開け、エレベータへと急いだ。


 ここは、31階の高層ビルだ。僕は職場のことを大展望台と心の中で呼んでいた。そうでもしなければ、毎日の仕事でのストレスが発散されない。会社に行く、と言うのでなく、大展望台に景色を眺めに行く、と考えていた。

 エレベータはすぐに降りてしまう。登るのも早い。僕はいつも朝のエレベータがもっと遅く登れば、仕事を始めるのも遅くなるのに、と思っていた。


 ここまで聞いても分かるように、僕はダメサラリーマンだ。

 この不景気の中、こんないい場所に職場がある会社に就職できたこと自体が奇跡だった。就職活動もあまり気合を入れてやっていなかった。とりあえず、内定が出たこのITコンサルタント会社に就職したようなものだ。仕事内容はといえば、お客に説明するパワーポイントを訳も分からずに作成したり、報告書を出すだけでお客が何億という大金を銀行口座に支払われたりするものだ。言わば無形財産でお金を稼ぐ会社だ。

 と、聞こえがいいのはここまでで、結局は机上の空論を専門に作る会社だ。

 僕はこの会社に文句を言いながらも今年で10年も勤め上げてしまった。同期入社した社員はみんな結婚してしまっている。同期同士の飲み会も少なくなってくる頃だ。つい最近、同期の家に遊びに行ったときには、もう小学校1年生の男の子と、幼稚園児の女の子がいて一緒に遊んでいた。他の同期もいたが、僕が一番子供に懐かれていて、一番子供に近いのか、と軽いショックを受けてアパートに戻ってきたのを覚えている。

 今日も家へまっすぐ帰るだけだった。周りからはいろいろ言われているが、自分の時間を大切にしたいから帰っている。寂しい奴だと思われたくないから、人には彼女がいると言う仮定で話すことも多い。この年で独身をやるのも、周りの目に耐える精神力が必要だ。

 昔よりも良くなったとはいえ、30代半ばの独身男の世間の目は厳しい。事実、職場の飲み会がある度にいろいろと心配をされる。

 エレベータの扉が開いた。外は、徐々に曇り始めていた。今日の天気予報では雨は降らないと言っていたが、騙されたようだ。正門の扉を出ると、雷鳴が響いていた。都会の夕立は天気予報でも予想できない。

 駅まで歩く間に何とか降り出さないよう祈りながら歩いた。

 あのカフェまで行けば、何とか雨宿りできそうだ。僕の鼻の辺りに水滴が落ちてきた。スーツの色が変わった部分が一つ、二つと増えてきた。周りの人がさっきよりも足早に駅を目指している。

 僕もカフェの前までたどり着いた。ドアを押すと中からはコーヒーの香りが漂い、ジャズが流れていた。

 どこにでもよくあるチェーン店のカフェだ。何も珍しいところはない。僕もよく、遅刻してはここで時間をつぶしていた。会社に行きたくない日は特にそうだった。


「アイスカフェラテのトール」

 僕が遅刻したときは、ここの店員さんだけが味方だ。

 いつも座るソファー席を見た。そこにはいかにも実業家をやっていますと言わんばかりの高級スーツに身を固め、ノートパソコンと睨めっこをしている男が座っていた。僕はこういうタイプが大嫌いだった。自分は仕事ができないことも関係していたのだろうが、あからさまに自分は仕事ができますという雰囲気を作っている輩を見ると、他人でも軽く睨み付けてしまうくせが、この10年でついてしまったのだった。

 僕はその席を男に気づかれないように睨み付けると、素通りした。本当はあんな風になりたいのかもしれない。

 もう一つの窓際のソファー席に座ると、早速カバンから雑誌を取り出した。30代の会社員をターゲットにした大衆誌だ。僕は「FXで下流社会から脱却」という記事を読み始めた。

 投資……ねぇ。僕は心の中で呟いた。会社員が気軽に投資をできる時代になったが、僕はあまりやる気にはならなかった。証券会社向けのネットワーク構築の仕事を手伝ったときに、証券業界の裏事情を嫌というほど思い知らされたからだ。僕は流し読みで次のページへ移った。

 結婚できない男のここがダメ。

 タイムリーな記事だ。自分でもなんとかしないといけないと思っているところに、傷口に塩を塗るかと言いたくなる。

 結婚はしようと思えばいつでも……と言う人がいるが、それは疑わしい。何十億という人がいる中で、一人を選ぶのだから、物凄い決断力だ。いつでも……と思っているうちに時間だけが流れてしまう。僕もそれは良く分かっていた。ただ、これだという人が見つからない。これも言い訳だということも良く分かっていた。

 ふと、雑誌から店の外に目をやると、雨が窓に当たり、滝のようになっていた。店の中は、滝の中にある洞窟のようになっていた。

「え? なんでそんなことになるの? 契約書にサインして、先方に送っちゃったよ」

 いつも座る席に座っていた男が、携帯電話で話している。仕事で何かのトラブルがあったのだろう。僕の場合、カフェと家には仕事は持ち込まない。

「は? 何で今更そんな事言うかな。だからあそこの物件やるの嫌だったんだよ。よく契約内容変るし、担当者馬鹿だし、もうこれ以上変わったら納期伸ばしてもらえるように言ってくれる?」

 まるで、自分のことを言われているかのようだった。会社の近くということもあり、もしかしたらその”担当者”というのは自分のことなのではないかと、不穏な想像が働く。

 僕は、何となくその場に居づらくなり、席を立った。カップを返しに返却口へと急いだ。その時に男の後ろをわざと通った。自分のことではないかと不安になると、なんとなく気になってしまう。パソコンの画面を見て心臓が高鳴った。おそらくパワーポイントでのプレゼン資料ではないかと思われる画面には「東亜銀行ATMシステムネットワーク増設」という言葉が並んでいた。

 自分の担当しているものだった。

 担当者馬鹿だし…男の言葉が突き刺さった。

 僕はカップを返却口へ返すと、ため息を一つついて、店の扉へと向かった。今日は本当についていない。


 外の雨は止む気配が全くなかったが、僕はこの場から逃げ出したい一心だった。持っていたのはバッグと会社の名前が入った紙袋だ。別に仕事を持ち帰っているわけではない。書類だけ持ち帰って家で仕事をしている振りをしているだけだ。ソファーに座っている男のパソコンの画面に映っていた東亜銀行の書類も入っている。本当に入っているだけだ。

 傘もなく、困っているのを周りの人に気が付かれないように入り口の近くで携帯電話を見てごまかしていると、人が近づく気配がした。

 ソファーに座っていた男が電話を終え、こちらに向かってきた。僕は会社の名前の入った紙袋を隠そうとした。しかし、もう間に合わなかった。

 男は紙袋を見ると、僕のほうをちらっと見た。店の扉に向かうと折りたたみの傘を広げ、足早に出て行った。

 おそらく、男は気が付いたのだろう。東亜銀行の物件はまだ始まったばかりで、担当者同士ではまだ顔を合わせていないが、発注先の元請業者の人とは電話で話をすることがあったが、その他の専門業者とは顔すら合わせない。今日もその一人に気付かれただろうが、まさか自分が担当している物件の担当者だとは思っていなかっただろう。それが通用するから僕は今の会社でやっていけているのだ。それがなければあった瞬間に文句を浴びせられることはよく分かっていた。

 僕はもう諦めて、駅まで走ることにした。こういうところで傘を持っていない辺りが、自分でも大嫌いだった。

 明日はスーツをクリーニングに出そう。


「よう。今日もここでサボりか?」

 いつもの喫煙所は心のオアシスだ。そこでよく顔を合わせる26階の中央商事という総合商社に勤務する河島だ。

「まあな。でもあんまり長い時間いると課長がうるさいから」

「お前のところなんかまだいいよ。うちなんか喫煙所行く回数数えて、一日5回までなんて言い出しやがってよ」

「それ、お前のせいなんじゃねぇ?」

 僕らはサボり仲間とでも言えば正しいのだろうか。会社が違うが、ビルの喫煙所が20階にしかないので他の会社の人とも話をする。

 河島と話すようになったのは、僕が顧客を怒らせて、本当にオフィスに戻りたくなくなかったので喫煙所に1時間いたときのことだった。その時に、15分おきに喫煙所に来ていた河島が僕に話しかけてきたのだ。今でも忘れもしない、最初にかけられた言葉が「お互いダメ同士だな」だ。

「なあ、お見合いパーティーって興味ある?」

「なんだよ、急に」

「まあ、お前も職場で結婚はまだかとかいろいろ言われてるって話してただろ? うちの職場も一緒でさ。そろそろ考えないとなぁって考えてるんだよ」

「……。結婚か」

 昨日も雑誌を見て考えていたところだ。同じ世代の独身が考えることはあまり変わらないのだろう。

「でも、人に言われて結婚って初めて考えるものなのかなぁ」

「俺はそう思うよ。学生時代に付き合ってたのはキャバ嬢とか、クラブで知り合ったイタリア人とかだったから、結婚なんて考えなかったよ」

「…。ああ、前も話してたよな。遊んでたんだよな」

 僕は河島が以前、飲み屋で話してた話を思い出した。自分の学生時代とは雲泥の差だ。僕は家で寝ていることが多かった。

「結婚すると、遊べなくなるしな」

 それが結婚ってもんじゃないのか? 僕は喉まで出かかったが言わなかった。河島は結婚しようと思えばいつでもできると考えている典型だ。

「じゃ、考えといてよ。会費は5,000円だから」

「あ、ああ」

 僕は生返事を返すと、喫煙所の扉から出て行く河島を見送った。僕はあと5分いるつもりだった。

 結婚とは何か…。きっと永遠のテーマなのだろう。


 その日は仕事が手につかなかった。まあ、普段から仕事をしているわけではないが……。

 僕はお見合いパーティーなど本当に参加したいのだろうか。自分で自分の気持ちがわからない。ただただ回りに流されて参加するのが本当に正しいのだろうか。

 時間の無駄、とまでは言わない。何か納得できない気持ちが溢れていた。


「松村さん、EECソフトウエアの新井さんからお電話です」

 嫌な担当者から電話だ。

「はい、かわりました。松村です」

「新井ですが。何なんですか?この仕様書は?」

 また始まった。僕はここから10分近くひたすら謝った。

「こんなことだったら、お宅通さなくて、直接下請けさんとやりますよ!」

 あのカフェで会った男の顔が思い浮かんだ。

 おそらくフリーランスの高収入なのではないだろうか。彼が身につけていたスーツがそう言っていた。

 こんな毎日が続いている中、同じくらいの年で十分幸せな生活を送っている人がたくさんいる。僕はこの違いを呪うしかなかった。

 そう、極めて八つ当たり的な呪いだ。


 そうこうしているうちに定時となった。僕は逃げ出すように会社を出るとそのまま駅へと直行した。

 こんなうだつのあがらない生活をもう10年も送っている。我ながら馬鹿馬鹿しいと思う。実家に帰ろうかと考えたことも一度や二度ではない。だが、僕の実家は夜になると外灯一つない山奥の村。30半ばのデスクワークしか知らない男が帰ったところで近所から笑われるだけだった。

 ふと携帯を見ると、メールが入っていた。河島だ。

 今日の夜の飲みの誘いだ。


 東京という街は本当に何でもある。

 レストランの料理で東京にいて食べられない国の料理を探すほうが難しいのではと思うことがある。

 河島はカンボジア料理が大好きだ。彼曰く、中華とタイ料理の中間のような絶妙なところを攻めている…らしい。正直、僕には分からない。これが海外出張のある商社マンと一日中パソコンを見ているだけの偽SEとの違いなのだろう。

 今日も彼いきつけのカンボジア料理の店で待ち合わせた。

 河島は先に到着してアンコールというカンボジアのビールを飲んでいた。このビールは薄味で、とても飲みやすい。

「またこの店かよ」

「なんだよ。カンボジア料理と言ったらここだろ」

 だいぶ飲んでいるようだった。河島が先に来て飲んでいることは珍しくはなかったが、今日はだいぶ酒が進んでいるようだった。

「なあ、お見合いパーティーのことなんだけど」

 僕は、気になったことを率直に聞こうとした。そういうことには不自由していないように見えるお前がなんで誘ったんだ、と。

「そのことなんだけど……」

 河島がいつになく真剣な顔になった。

「実家のお袋に癌が見つかったんだ」


 

小説:父の背中 (途中まで)

 ある地方文学賞に応募を検討して途中まで書いたのですが、まとまらずに放棄したものです。まとまりをつけるのはとても難しいですね。

 

 

 

傾きかけたこの工場を見て母はどう思うだろうか。

洋介は生前の母を思い出した。過労が原因の病で倒れた母は、弱音一つ吐かない我慢の人だった。この工場に命を奪われたと、洋介は思っていた。

「忘れ物はないか?」

彼の父、惣一郎が工場の中から表に出てきた。

「ないよ」

「気を付けて行けよ」

「ああ」

洋介は生返事を返すと、そのままスーツケースを引き、振り返らずに歩いて行った。

四月だというのに、気温が三十度を超えた暑い日だった。

 

「ついに行ってしまいましたね」

洋介を見送る惣一郎の後ろから、独特の訛りがある声が聞こえた。この工場の従業員の王だ。彼は台湾から日本に来て、五十になる今まで約二十年、この工場で働いていた。

「これでよかったんだ」

惣一郎は呟くと、工場の中に入り、金型の研磨作業を始めた。

「社長、悲しそう」

王に話しかける黒い肌の大男がいた。彼はエチオピアから来たアディスだ。来日して三年の今年二十九になる若者だが、勉強は苦手らしく日本語は少し覚束ない。

「無理ない。洋介君に後を継がせたかったんだから」

王は惣一郎の方を悲しい目で見た。

 

柳川製作所は葛飾の町工場が多く集まる四ツ木にある。金型製作を主とする工場で、社長の惣一郎と従業員の王、アディスで切り盛りしていた。五年前までは、惣一郎の妻、康子がいた。

洋介は惣一郎の一人息子で、今年の春、大学を卒業した。

受験が本格化する高校三年になったある日、康子が倒れた。その日から入退院を繰り返して半年後に帰らぬ人となった。

退院した後も休むことなく工場の事務や惣一郎の手伝いを行った。

度々、惣一郎が康子に怒鳴っているところを、洋介は見ていた。それは彼が幼少の頃からの見慣れたものだった。

康子が入院した時も、惣一郎は仕事を優先させて、ろくに見舞いにも来なかった。看病は専ら康子の姉智子が行っていた。

お父さんはそういう人だから。

病床で呟いた母の寂しそうな顔が、洋介には昨日のことのように思い出すことができた。

あんたもお父さんみたいな立派な技術者になるんだよ。

次に洋介が思い出す言葉はこの言葉だ。病床にいても尚、自分を怒鳴っていた父の事を言うのか。洋介は母の我慢強さを不憫に思った。

大学受験を控え、洋介が進路に選んだ学部は工学部だった。機械工学を希望していたのは、父の後を継ぎたいわけではない。洋介は単車が好きで、将来は単車の設計をしたいという理由からだった。

だが、高校時代の担任との進路面談では、父の後を継ぐのかとの質問が冒頭に飛び出し、彼は嫌悪感を感じずにはいられなかった。

 

惣一郎は広島の工業高校を卒業して上京した。二十八歳の時に、金型製作を行うこの柳川製作所を創業した。当時は個人商店で、今も現役で動いている曲げ加工の機械一台しかなかった。惣一郎は近所にあった自動車のシートを作る工場に金型を納めていた。

仕事は綺麗に仕上げるのに、性格が偏屈なのが玉にきず。

惣一郎は周りからそう言われていた。

そんな惣一郎にお節介を焼いて、地元出身の康子と見合いを進めたのは、シート工場の社長で今も惣一郎と親友の宮下だった。

宮下は康子と惣一郎が街の野球大会などで顔を合わせていたのを知っていたが、お互いあまり話をせず照れ臭そうにしていたのを見ていた。 宮下は親同席の見合いという形なら、惣一郎も納得するのではと考えたのだ。あまり不用意なことをすると、偏屈な惣一郎を怒らせてしまう。それに配慮して行われた「見合い写真のない」見合いだった。

見合いの前日、広島から来た惣一郎の両親を、彼には内緒で宮下は柴又帝釈天に連れて行った。その時に宮下は惣一郎の作る金型は世界一だと、両親に熱弁していたのだ。彼が上京する際には反対をしていた両親だったが、東京に出してよかった、これからも息子をよろしくお願いしますと、涙ながらにお礼を言われたことを、宮下は今でも昨日のことのように思い出すことができた。

見合いから半年後に結婚が決まった。仲人は勿論宮下だった。

それから洋介が生まれた。時代は高度成長期が終わり、バブル景気に湧こうとしていた。四ツ木近辺も大手メーカーからの発注をもらう 工場も出てきて、にわかに活気付いていた。

惣一郎も一度は大手との取引をしていた時期もあったのだが、彼の性格上、今は取引がないのは言うまでもない。

 

「間に合わんもんは間に合わん。何遍言うたら分かるんじゃ!」

工場内に広島弁の怒鳴り声が聞こえた。惣一郎が怒る時はいつもそうだ。黒電話の受話器に向けて声を荒げた後、電話機が壊れるのではと心配になるくらい勢いよく電話を切った。

「お父さん、もうやめて」

康子が後ろから惣一郎に言った。

「あの家具メーカーの担当、明後日までに仕上げろなんて言ってきやがった。前から一ヶ月は見てくれって言ってたのにむちゃくちゃや」

惣一郎が怒る気持ちを康子は分かっていたが、大手メーカーの受注は我儘な分、金払いも単価もよかった。

「それは分かってますけど、大口の顧客ですから」

「納得のいかんもんは出されんけ、あの会社との取引はやめや」

惣一郎はそんな調子で取引をやめていった。洋介も幼心に、父の怒鳴っている姿ばかりが焼き付いていた。

バブル景気の波に乗り、四ツ木町内にも工場を建て替える者が出てきた。だが、柳川製作所は創業当時の古い建屋のままだった。勿論、 惣一郎が金になる客を次々と切っていったのだから、建て替え費用など捻出できるはずもない。

工場で一人研磨作業を行う惣一郎を見て、康子はこの人にもっと商才があったらどんなにいい暮らしが出来ただろうかと思うこともしばしばあった。

だが、職人気質で妥協を許さないところが、康子は嫌いではなかった。周りから偏屈と言われても、自分の考えを通そうとする惣一郎に尊敬に近いものを抱いていた。

まだバブルが始まったばかりの八十年代後半の話だ。

 

「大学はどうだ?」

「別に。普通だよ」

洋介は都内の大学へ通っていた。一人暮らしを考えたが、今の家の状況から洋介はついに言えなかった。

朝の食卓には目玉焼きとほうれん草の胡麻和えが並んでいた。康子が亡くなってから、惣一郎は慣れない家事を少しづつ覚えていた。彼は今まで料理など行ったことのない関白亭主だったが、人間その気になればできないことの方が少ない。元々職人の惣一郎だ。料理人になればそこそこのものを作っていたに違いない。

「ごちそうさま」

洋介は席を立ち、自分の部屋へ向かおうと惣一郎に背中を向けた。

「今日遅くなるから、夕飯はいらないよ」

「ああ」

素っ気ない返事を聞く前に洋介は自分の部屋へと入って行った。

いつからあんなに自分に対して冷たくなったのか、惣一郎は改めて考えることもなかった。康子は自分が殺したようなものだ、と洋介は思っているのか、惣一郎にも身に覚えがないわけではなかった。

食器を流しに置くと、玄関の階段を降りたところにある工場の様子を見に降りた。

「おはようございます」

工場を掃除していた王だ。彼は朝早い。それとは逆にアディスはいつも始業ギリギリに飛び込んできた。

「王さん。いつもすまないね」

「いいえ。私も家にいてもやることがありませんから」

彼は勤勉な台湾人だ。男はつらいよの大ファンで、ついには柴又に移り住んでしまった。もうすぐ五十になるのだが、寅さん同様色恋は苦手らしく、独身独り住まいであった。

「洋介君とはどうですか?」

王と惣一郎が顔を合わせると挨拶の次に決まってこのことを訊いた。康子が亡くなった後、洋介と惣一郎の関係は他人から見ても、ぎこちないものになっていた。

「どうっていつも通りだよ。心配いらない」

惣一郎は王から目をそらした。その時に階段を降りる音がした。洋介が大学へ行く。

「いってきます」

惣一郎の後ろから洋介の声がした。彼が振り返ると、洋介は自転車をこぎ出そうとしていた。

「気を付けて行けよ」

洋介は惣一郎の声が聞こえなかったのか、返事をしないで自転車をこぎ出した。

小さくなる洋介の姿を見送る惣一郎の背後から、掃除が終わった王が呟いた。

「親子ほど難しい関係はないですね」

それは、王自身にも向けた言葉だった。

 

大学三年になると、洋介は就職活動を始めた。ネットで求人票、就活ノウハウのサイトを見てはメモを取る毎日だ。

合間を見て、仲間とツーリングに出かけた。彼はアルバイトで貯めたお金で中古のホーネットを購入した。狭い工場の敷地内に、不釣合いな光沢を放ったボディのバイクが止まっていた。

「今日も遅いのか?」

「うん」

洋介は朝から工場で作業していた惣一郎の方を見ずにホーネットに跨った。ヘルメットを被ると、視線が何処を向いているのか分からなくなった。

惣一郎は洋介の大学生活が気になっていたが、大学生ともなれば生活に口を出すこともないと考えていた。成績は優秀かは分からないが、留年もせずに大学三年までなったのだから、授業にはきちんと出席しているようだと、彼は自分が経験したことのない大学生活を思った。

「親孝行ですね」

いつものように早朝出勤をしていた王だ。

惣一郎は驚いた表情で王を見た。

「趣味のバイクも自分で買って、大学にもちゃんと出席して」

王は続けた。

「後は、もう少しわだかまりが解ければいいんだけどな」

惣一郎は呟いた。

「まあ、こればっかりは俺の責任だ」

惣一郎はそう言い残すと、作業着に着替えようと階段を登って行った。

 

大学に着いた洋介は、図書館へと向かった。大学の敷地内には緑がある。都内の一等地でも鳥が集まってくる。図書館はそんな森の中にあった。東京ということを忘れさせてくれる空間だ。

洋介は授業がない時は大抵図書館にいた。ツーリングサークルもおよそ月一回の活動であり、所属人数も多かったため、活動がない時は各々での行動が多かった。今日も彼はカウンタータイプの机に一人向かっていた。

「今日もここか」

洋介がいつものようにレポートをまとめていると、瀧下が声をかけて来た。彼と洋介は、同じツーリングサークルの仲間だ。

「明日までだから」

「お前も真面目だな」

瀧下の真面目という言葉を聞いて、洋介の表情が暗くなった。

「親父に似たんだよ」

瀧下は洋介が話していた母親の死を不意に思い出した。

「真面目な堅物だから」

瀧下は黙った。

「納得のいかんもんは出されんけってよく怒鳴ってた」

洋介は惣一郎の真似をして、声を上げて笑った。図書館に響いた笑い声に皆が振り返ったのを見て洋介は気まずくなった。

「お前の家は金型工場なんだろ。だったら親父さんにいろいろ聞いて手伝ったらいいのに」

「馬鹿言うなよ。こき使われて終っちまうだけだ。それに……」

洋介は少し真面目な顔になった。

「金型なんかに興味はないし、親父の後継ぎなんて、俺には勤まらない」

康子の言葉が洋介の頭の中で聞こえた。ちょうど彼の前には、レポートの参考文献として本棚から持ってきた曲げ加工に関する専門書が置いてあった。

「金属を曲げるのも、材質によって限度がある。俺は、そうだな、アルミってとこかな」

アルミはちょっとした力を加えても曲がってしまう。だが、それは逆に言うと力がかかっても曲がって形を変えて折れにくいと言うこともできる。

「親父はチタン合金だよ。堅物だからな」

チタン合金は曲がりにくく強度が必要な場合に使われることが多い。だが、強度の限界を超えると、なんの前触れもなく突然折れる。

それは、惣一郎や、弱音一つ吐かずに頑張り続けて突然亡くなった康子のようでもあった。

「お前がアルミだったら、親父さんのこと助けてやれると思うけど」

瀧下が言った。

「俺には無理だ。だから就活してる」

洋介はそう言うと、レポートをまとめようと机の方に向き直った。瀧下も、本を探そうと洋介の机から離れた。

本を探す本棚の隙間から、瀧下の目に洋介が映った。背中を丸めてレポートを書いている彼を見て、

「難しい奴だな」

と、洋介に聞こえない声で呟いた。

 

四ツ木の町工場がバブル景気に湧いていた八十年代。柳川製作所近辺の社長たちも、株式投資や不動産売買で小さな成金になった者も多かった。

惣一郎のところにも怪しげな証券マンや不動産屋がよく訪れていた。

「お父さん、また来てますよ。あの人」

康子が工場の奥にある小さな倉庫に入って来た。表のデスクで事務処理をしていた時、亀戸証券の後藤が来ていることを伝えに来た。倉庫とは言っても畳三畳ほどの広さしかない鉄の匂いが充満する物置だ。換気用の小さな換気扇が付いているだけで、窓はない。昼でも照明を点けなければ、作業はできない。

「旦那さんに会えるまで外で待たせてもらうからって帰らないんですよ」

惣一郎は、面倒な顔をしてすぐ行くからと答え、棚に荷物を上げた。

外に出ると、縦縞がしっかり入った派手めのスーツを来た三十代後半ほどの男が立っていた。前にも一度何処かで会ったような記憶があった。

彼が柳川製作所に来たのは二度目だ。一度目は、康子に言って会うのを断ったから、彼と惣一郎が顔を会わせるのは初めてのはずであった。

「久しぶりだな」

「……。伸介か?」

亀戸証券の後藤は、惣一郎が高校を卒業してすぐに就職した自動車メーカーの工場での同期入社組だった。

惣一郎と同じ高卒の工員採用で、寮で一緒だった間柄だ。

「ここで工場をやってると聞いて」

「もう10年になる」

「近くの喫茶店でコーヒーでもどうだ?」

「……。悪いが断る」

惣一郎は、少し後藤を睨み付けた。すると後藤は声を上げて笑いはじめた。

「何がおかしい?」

「相変わらずだな」

後藤は書類ケースの中から、パンフレットを取り出した。そこには製造業インデックスファンドと書かれていた。

「それは何だ?」

「インデックスファンドって言ってな、簡単に言うと日本の製造業を投資で応援する金融商品だよ」

惣一郎は黙って、後藤を睨み付けている。

「そんな怖い顔するなよ。俺だって何も詐欺をやってるわけじゃないんだから」

惣一郎は少しずつ思い出して来た。後藤伸介はとにかく饒舌だった。彼に騙されたりしたことはなかったが、寮で会ってもあまり信用できない奴だと惣一郎は感じていた。

「日本の製造業は世界一だ。それはお前も認めるだろ? その製造業に資金を託そうと言う人間が世界中から投資をするんだ。それを資金源に日本の製造業は発展を続ける。投資家は配当を受ける。こんな好循環はないだろ? これからは寝かせている資金を投資して、働かせる時代だ」

惣一郎は睨み付けたまま、

「鋳鉄の値段はいくらか知ってるか?」

と訊いた。後藤はあまり質問に興味がない顔をして、

「そんなことより、大手メーカーの取引先はないか? そこの奴らは傲慢だろ。それでもこれを買えば株主になれる。メーカーの担当者も社長より偉い株主には逆らえない。これを奴らに対して強気に出る武器にしてもいい」

と、続けた。

「質問に答える気がないようだな。教えてやる。五年前の二倍だ」

後藤は少し怪訝な顔をしたが、話を続けようとした。

「そんなことは……」

「そんなこと? 俺にとっちゃ死活問題なんじゃ! お前はさっきから投資投資って言っちょるが、その投資とやらで原料の値段が上がっとってこっちは困っとるんじゃ!」

後藤は少し身を後退させたが、惣一郎は続ける。

「取引先は見積が高過ぎる言いよるけ、儲け削って値引きせないけん。どれもこれも原料高のせいじゃ! 」

後藤は、額に大粒の汗を浮かべていた。今日はそこまで暑い日ではない。惣一郎はまだ収まりがつかない様子で、さらに続けた。

「何が株だ。中小企業の経営者騙すだけの証券屋は、楽な商売じゃのう!」

惣一郎は後藤を睨み付けている。後藤は何も言わずに後ろを向いて、その場から立ち去って行った。

後藤の姿が遠くなるのを見張るように見ていると、康子が声をかけた。宮下が来ていた。宮下は工場の喫煙スペースで煙草をふかしていた。分煙など、まだ一般的ではなかったが、くわえ煙草での作業は惣一郎のポリシーに反していたために設けたスペースだ。とは言っても、ポールの灰皿が一つあるだけだった。

「今の奴、亀戸証券の後藤だろ?」

「何だ。見てたのか」

「しかし、お前さんの広島弁は迫力があるなぁ。それで取引先にも言うんだから向こうは堪らんわな」

宮下は笑いながら惣一郎に言っていたが、真面目な顔になると続けた。

「商工会に訊いたんだが、亀戸証券に後藤という人間はいないそうだ」

「え?」

「亀戸証券では、製造業インデックスファンドなんていうのも扱ってないらしい。うちにも勧誘に来たんでお前さんにも教えとこうって思ってな」

詐欺。惣一郎は頭に浮かんだ二文字と、寮で会った時の後藤の姿を思い出していた。彼も惣一郎と同じように独立を考えていたことを少しずつ思い出して来た。

「あいつ、こっちで初めて就職した工場の同期だった奴だ」

「……。そうか」

「昔から大口を叩く奴だったが、詐欺をやり出すとはな」

宮下は煙草の煙を吐くと、少し改まった様子になり、

「景気がいいなんて言って踊り回ってる奴らはろくなもんじゃない。今はいいかもしれんが、そのうち後悔する日がきっと来るはずだ。お前さんとこは大丈夫だと思うがな」

と、嘆くように吐き捨てた。

 

それから一ヶ月後、後藤は詐欺容疑で逮捕された。それよりも惣一郎が驚いたのは被害総額だった。あんな幼稚な手口で一億円もの金を集めていたのだ。それだけ金が余っていた時代だった。いい時代だったのかは分からないが、何かがおかしい時代だったことは確かだった。

言うまでもなく、数年後にバブルは崩壊した。それから、長い不況の波が四ツ木の工場を次々と呑み込んで行くのだった。真新しい工場に売り出し中の看板が立てられているのを、惣一郎は複雑な心境で眺めていた。

小説:メディア王と呼ばれた男(途中まで)

 テレビのチャンネルが12チャンネルまでなのはなぜか?ということから、それを決めた通信官僚がいたのでは?というところから着想した作品です。

 この後、悔しいことに「海賊と呼ばれた男」が刊行され、大ヒットしてしまいました。なんだかパクリみたいになってしまった可哀想な作品です。

 

 

 

 

疑問に思ったことはないだろうか。

どうしてテレビのチャンネル数は12までなのか。


今は、ケーブルテレビ、CS放送などのチャンネルも合わせると優に百を超えることも珍しくない。


だが、市販のテレビのチャンネル数はなぜか12までだ。



これには終戦直後、この国が焼け野原となった当時を憂い、通信官僚となった一人の男が関わっていた。


彼は、民放、NHK等すべての経営に関わるテレビマンたちから「メディア王」と呼ばれて恐れられていた。

テレビの創成期から、絶大な影響力をもった1980~1990年代まで、彼は強権を振るってきた。



この話を聡明な読者殿が信じるとは到底信じがたい。

それもそのはずである。

機密文書の議事録にしか、彼の名は出てこない。


だが、彼がいなければ、現在の絶大な影響力を持つテレビが存在しなかったと言っても過言ではない。


事実、在京キー局は片手で数えるほどしかない。


この理由として、旧電気通信省(現総務省)の管轄する放送法の存在があった。


この放送法を武器に、政治家、放送局社長、NHK会長をも操った稀代の大物がいた。



その男こそ、通信官僚 大曽根孝明。またの名を「テレビを牛耳った男」「メディア王」だ。




時は終戦直後の昭和23年まで遡る。


この年、NHKは戦後初めてテレビジョン放送の電波発射実験を行った。

大曽根はこの年、旧制東京高等工業学校で現東京工業大学を卒業した。

彼は、この年、国家公務員試験に合格し、電気通信の専門職員として、旧逓信省に内定していた。

昭和24年には省庁再編により電気通信省となったが、彼の仕事内容に大きな影響はなかった。


大曽根は、工業大学卒業の専門職員だったため、出世コースに乗るキャリア官僚とは一線を画していた。

だが、彼には、頭脳明晰なキャリアと対等に渡り合える程の器量を兼ね備えていた。

若いころからメディア王の素質を垣間見たエピソードがある。


それが、ある無線中継所を建設している土木工事現場での中間検査を行う際の一節だ。



  ――


ジープが山道を登っていく。

マイクロ波の回線の中継を行う局など必ずと言っていいほど山にある。


大曽根さん、もうすぐですよ」

NHK 建設局の村田だ。

土木出身の彼は日本中にこれから張り巡らされるであろうマイクロ波回線の建設工事の監督をしていた。

「大変なところですね。こんなところで1年も工事されていたんですか?」

大曽根はこの中継局の検査官だった。

「まあ、それが土木技術者の宿命ですから。ダム建設でも同じですよ」

村田は笑った。大曽根には理解ができない世界だった。


「こんなこと大曽根さんだから言いますけど、工事出張は手当てが厚いんで、たまに街へ行こうもんなら豪遊できますよ」

村田は豪傑だ。彼は大きなものを作りたいと思って土木を専攻した。そしてなぜかNHKへ就職したのだ。

「ところで、なぜ土木の村田さんがNHKに?」

大曽根が尋ねると、よく聞かれると前置きをした後に、

「これからは放送の時代でしょう。ラジオも聞こえない地域も多いですし、テレビなんて、まだ1%も普及していない。放送局も、放送をするにも戦争で設備がズタズタじゃ、電波を発射することすらできない」

と語った。村田は煙草に火を点け、息を吐いき、運転手に次の道順を指示した。

NHKでは土木をやった人間が少ない。だから、自分の思うようにできる」

村田は誇らしげに語った。

それを見て大曽根も何か清清しい気分になった。

相変わらずジープは枝葉の多い山道を登り続けていた。


東京から名古屋、大阪へテレビの中継回線を建設する壮大なプロジェクトに、村田は胸の高鳴りを抑えきれずにいた。

「私は土木の技術屋で、無線工学など難しすぎてよく分からないんです。大曽根さんにもいろいろと問い合わせさせていただいて、その節はお世話になりました」

「なんですか。急に改まって」

大曽根と村田はマイクロ回線の建設でそれぞれの担当者同士で、そこまで親しくはなかったが、知らない仲でもなかった。


後のNTTとなる当時の電気通信省大曽根は属していたが、大曽根の所属する放送行政部門と、後に電信電話公社へ移行する通信部門とは対立関係にあったと言っていい。

当時の長距離通信の主流は、短波帯を使用したモールスによる電報が専らの通信手段で、大きな設備投資が必要だったマイクロ波の長距離回線に興味すら示していなかったのだ。

また、当時から労働組合が強かった電気通信省の通信部門は、マイクロ波回線が構築されれば、電報局員の仕事がなくなると猛反発していたのだ。


そんなマイクロ波回線の構築に消極的だった省内の動きに見切りをつけ、NHKを巻き込んで放送行政部門でマイクロ波回線の構築を行おうと提唱し、原案を上司に直談判したのが大曽根だったのだ。

放送行政局長は彼の提案を引き上げ、大臣に働きかけ、見事に予算を勝ちとった。当初、NHKとの五分の投資であったが、NHK側の配慮で放送行政局負担は3割で済んだのだから、彼の株は上がった。

NHK側が予想以上に、このプロジェクトに前向きだったのだ。その影には、ここにいる大曽根と村田のような担当者同士が熱い思いを共有したことによるものだった。


中継局は愛知県新城市の本宮山中腹に建設されていた。

「着きましたよ」

村田はジープを降りた。

中継局は案外小さかった。掘立小屋のような建屋の屋上に、大きなアンテナが角のように伸びていた。

「電力会社からの受電がまだですので、中は暗いですから気をつけてくださいね」

村田が早速入っていった。

大曽根は、アンテナを見上げた。

ここまで来るのに苦労したものだ。そう心の中でつぶやいた。


この中継局は、大曽根が中間検査を行った後、電波法による落成検査が控えていた。


大曽根の対応はこれからが本番だ。


なぜなら、落成検査が通信部門によるものであったからだ。

今日、大曽根がここを訪れたのは、中間検査とは名目だけで、村田との作戦会議を行うためだった。

そこで不合格になってしまえばプロジェクト自体が頓挫しかねない。

もう後には引けなかった。


 

 

小説:対岸(途中まで)

今、海に向かってミサイルを発射しまくっている某国がありますが、こんなものを書いていた時期もありました。

 

 国境にするほど幅の大きな河ではなかった。

 人間のエゴで作られた国境の殆どがそのような状態で存在している。そこでは、国境という理由だけで無駄な殺生が繰り返される。無論、命を奪われる者はどのような理由があろうと、不法入国者として処理される。

 国境警備隊が警備用に作った監視台からは、河の向こう岸がよく見えた。晴れた日はA国の首都に建設されているテレビ塔まで見えるほどだ。もしここから小型ミサイルでも発射すれば、A国の首都に到達する距離だ。

 この河は、もともと国境ではなかったのだ。かつて、この二つの国は一つの国として世界地図に掲載されていた。

 そう。あの戦争が起こるまでは。


「ここに来るといつも思うが、何でここまでして渡りたいのかな」

 国境警備隊の班長を務める柏田惣一が、いつものように部下の田中康之を連れて河岸のパトロールを行っているときにボソッと言葉を放った。辺りには、川霧が立ち込めて、水鳥が寒そうに水面下の食事を探している。

 ここは、深夜に監視台からの発砲で銃殺された不法入国者が打上げられることが多く、今朝も五十代男性の遺体をパトロールの最中に発見し、事務所の霊安室に引き上げたばかりだった。多いときでは朝のパトロールだけで十体以上の遺体を引き上げることもある。

不法入国者には銃殺を許可しているとはいえ、撃つ方も気が重い」

 柏田は田中の方を見ずそう呟きながら、川岸の石を投げた。3段水面を跳ねて、河の底へと沈んでいった。その河底には、何体の遺体が不遇の死を遂げて眠っていることだろうか。

「それが国境警備隊の仕事ですから」

 田中は柏田と違って考え方がドライだ。性格の違いによるものだ、と柏田は彼を理解しようとしていた。彼は防衛大学を卒業後、陸軍に入隊した。しかし、A国との関係は二十年前の和平条約締結後、停戦状態が続き現在に至っている。陸軍では実戦を行えないと判断したのか、三年程で辞めてしまい、警察の管轄である国境警備隊に入隊した。ここでは、確かに実戦という名の不法入国者の銃殺が行える。田中にとって、陸軍にいた頃よりは、”充実した”毎日が送れていたに違いない。だが、柏田から見れば、この目の前にいる二十代の若者が、血気盛んに発砲している姿を見るのは居た堪れない気持ちでいた。そうは思っていても、柏田に彼を注意する術はない。なぜなら彼は、職務を忠実に遂行していたからだ。その動機は何にせよこの国の法は彼を罰しない。

 A国からの不法入国者の増加したのはおよそ5年程前からだ。主な理由は二国間の経済格差によるものだった。A国での富みは一部の者たちで独占され、庶民はその日の生活もままならない状態である、とニュースは報じていた。柏田の所属する国境警備隊は第9管区と呼ばれている。ここは別名「殺し屋特区」と言われるほど不法入国者が後を絶たない管区だ。   

 理由はこの河にある。河幅はおよそ二キロメートル、最大深さ三メートルのこの河は、国境と呼ぶにはあまりにも頼りない。それに加え、理由ははっきりしないが、対岸のA国側の国境警備が全くと言っていいほど行われていなかった。この国にA国からの難民申請を受理されることなどあり得ない。そうなると、生活に困ったA国民が国境を命懸けで突破しようとするのだ。

 それが、柏田の警備する殺し屋特区の実情だ。

 不法入国者を銃殺してもよくなったのはここ最近だ。数年前、A国から不法入国した者による凶悪犯罪が相次いだ時期があった。彼らは国境を越えることができても、この国でまともな職に就くことなどできない。必然的に裏社会の人間に成って行く。この国の過激派も、死をも恐れないA国の人間を重宝した。その結果、自分の主張を通すためだけの無益な殺人と犯行声明が繰り返された。A国はこうしたテロを引き起こす人間を送るために対岸の警備をあえて手薄にしているのかもしれなかったが、柏田の想像の域を出なかった。

 当然のことだが、世論は不法入国規制の強化を政府に求めた。時の内閣は、改正国境警備隊法と、新案の不法入国者規制法案を国会に提出し、可決された。

 国境警備隊での不法入国者の銃殺が事実上容認された。国境警備隊が殺し屋集団となったのはこの時からだ、と柏田は思っている。

 この日も柏田と田中は、夜勤からの延長で河岸のパトロールをしていた。柏田が仮眠をとっている最中に、銃声が遠くで鳴り響いた。おそらく田中が撃ったものだった。銃は撃ち方でくせが出る。音も個人差があるが、誰が撃ったかは、銃声のタイミング等で人数が限られていればなんとなくでも分かるものだった。柏田は銃声を聞き、少し眠ろうと目を閉じたが、やはり寝ることはできなかった。いつものことだ。

 柏田がそんな眠れない夜を過ごしたことは、隣にいる田中は知る由もない。田中はこんな日々を過ごしていても、顔色一つ変えることはなかった。柏田は、田中がいとも簡単に銃を発砲し、狙いの先にある人間が叫び声をあげても、次の日の朝には何事もなかったかのように振舞っているのを見ると、彼は希代の大物か、感情の欠落した殺人機械なのか、分からなくなることがあった。

 柏田がそんなことを考えながら歩いているのを隣の田中は知っているのか、川霧はさっきよりもより深くなったように思えた。まるで、田中の心の闇を柏田に隠しているかのように。

「男性ですかね?」

 田中が突然口を開いた。柏田にはよく見えなかったが、霧の先に打ち上げられた遺体を見つけたらしい。

 しばらく進むと、柏田にもその目に遺体を確認した。短髪で大柄な体型をしていた。顔は眉がはっきりしていて、顎がすっと伸びていた。国境を越えようなどと考えなければ、それなりに出世をしてA国の要職にでも、就いていたかもしれない。柏田はその遺体の首に手を当てた。

「脈があるな」

 続けて耳をその男の口元に近づけた。息がある。

「身分証がないか探せ」

 田中は彼のポケットを探り出した。すると、財布のような入れ物が見つかる。

「これは」

 田中が聞こえるか分からないほどの声を発した。柏田は田中の方に向き直り、開いている財布に目をやった。


 A国  軍事参謀本部

 二人に緊張が走った。田中の開いた財布に顔写真入りのIDカードに記載されていた文字が異常事態を物語る。

「A国の軍人か?」

 柏田は田中に訊いたが、田中は黙ったままだ。柏田も身分証を見たので分かっていたが、言葉を漏らさずにはいられなかった。

「すぐに保護しよう。見たところ、足に銃弾を負って溺れたようだ」

 柏田はすぐに冷静になり、田中に指示をした。だが、田中は相変わらず、黙ったままだ。

「こいつらか」

 また、田中は声にならない声を出した。柏田は嫌な予感を感じながらも、倒れた男の両脇を抱えていた。

 次の瞬間、田中が突然自動小銃を空に向けて、一発放った。

「おい!  どういうつもりだ!」

某クラウドソーシングサイトで上位にランクインしました。

クラウドソーシングサービスでは業界上位と言われているサイトに登録しているのですが、

そのサイトのライター部門と総合部門の契約ランキングで上位になったというお知らせが来ました。

長期の契約が2つほど入ったので契約額でのランキングと思われます。(あまりそういうのを気にしていないので詳しくなくてすみません)

ライター部門では30位以内
総合では100位以内だそうです。
(どちらもギリギリランクインでした)

クラウドソーシングを通じて、ライターを始めて一年ちょっとになりますが、ここまで来たのかと感慨深いものを感じます。

思えば、始めた頃は、副収入をうたった詐欺サイトに騙されかけたり、無茶なクライアントとケンカ別れをしたりと、嫌なことも色々とありました。

それでも自分で書いたものがネット上で見つかると、ちょっと嬉しくなったりと今までなかった喜びも増えた一年でした。

執筆に忙しく、このブログも放置状態でしたが、この結果を伝えたく筆をとりました。
それがなければ未だにワインやウイスキーのようにここで熟成され続けていたでしょうか。

この結果はまだまだ通過点と思い、これからも、精進していきたいと思っております。

不評だった記事「最低映画のレビュー」

これは個人的には気にっているのですが、

いろんな所で、門前払いを食らいまくった記事です。

どうか、拾ってくださる編集者の方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

 

 

 

 

真冬のホラー!コメディ要素満載! 「アイスクリームマン」

 

時代を超えても愛され続ける名画がある一方で、箸にも棒にも掛からぬ映画も同時に公開をされています。その映画の殆どは見る価値がないと考えている映画ファンが多いかと思いますが、そんな最低映画の中にも、これはぜひ見てもらいたいというものがあるのも事実です。

今日はそんな「最低映画なのに何故かまた見たくなる映画」を一本紹介したいと思います。

 

Title:アイスクリームマン(邦題) 米 1995年

監督:ノーマン・アプスタイン

出演 クリント・ハワード

   オリビア・ハッセー

 

あらすじ

幼少期に目の前でアイスクリーム屋が殺される所を目撃した少年が、大人になって人肉入りのアイスクリームを売るようになる。そのアイスクリームが街でおいしいと評判になる。しかしアイスクリームが売れると発生する殺人事件を、警察が捜査するが捜査は難航。そん中、街の悪ガキグループが、アイスクリーム屋が事件の犯人ではと勘づき、三人でアイスクリーム屋の自宅へ乗り込もうとするが…

 

 

映画の作品分類としてはホラー映画になります。確かに、ホラー映画としてみることができるのですが、映画としては大真面目にやっているのに何故か笑える箇所も盛り込まれております。

 

  • オープニング そんなセリフ、普通言う?

オープニングでは、理由も分からずに突然、アイスクリーム屋が銃殺されるシーンから始まります。問題のセリフはその死体を見つめて少年が言った一言です。

「ママ、これからは誰がアイスクリームを売りに来るの?」

 人が目の前で殺されているのに、そんな心配普通しないだろ?という頓珍漢なセリフが、冒頭からこの映画のカオスさを物語っています。

  • 街の警察は無能集団! そんな警察じゃ街の治安は維持できない。

アイスが売れるたびに人が殺されているのですから、殺人事件の捜査に警察が動き出します。しかし、捜査は難航します。捜査の途中でアイスクリームを食べるシーンがあるのですが、アイスクリームの中に目玉が入っていても、食べている刑事は気が付かないのです。こんな頼りにならない警察がいる街に住んでいなくて心からよかったと思う瞬間です。

  • 大きなコーンに自分が殺した男の生首を乗せて喜ぶアイスクリーム屋

もう、これはコメディが撮りたくて撮影したとしか考えられません。監督はこの映画をどう見られたくて作ったのでしょうか?

こんな最低映画なのに、名女優が出演していることに驚きです。役はアイスクリーム屋の母親代わりだったいかれた看護師です。ファンの方はあまり見ないほうがいいかと思います。60年代では「ロミオとジュリエット」のジュリエット役だったのに…

 

 

映画は娯楽です。どう見たいかは個人の自由ですが、その中でも誰もが最低という映画は存在します。しかし、その中でも見方を変えるとなかなか面白く、「こんな最低映画知ってる?」と知識自慢ができる映画もあることは押さえておきましょう!

 

今回、最低映画を取り上げた一番の理由は、私自身の経験として、ものすごく美味しいレストランで食事をした記憶と同じように、たまたま入った定食屋が想像を絶するほど不味かった時の記憶はやたら鮮明だったという所からでした。

「これはとてもいい」と思うのと同じくらい、「これは全然ダメだ」と思うのは、記憶に残りやすいということです。

そんな最低映画を見る時間なんかない、時間の無駄だと仰られる皆様の気持ちもよくわかりますが、こういった映画を見たからこそ、名作の偉大さ、作りこまれた芸術作品としての映画が理解できるようになるのです。

 

それでは皆さま、いい映画ライフを送ってください。